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Tamagawa Acoustic Bridge


たかだっち

初めてギターに触れたのは中学校の時。時代はまさにニューミュージックブームの時でした。
歌うことが好きでそして弾き語りが好きになりオリジナル曲を作って楽しんでいました。
当時はテニス部に所属していて放課後にラケットをギター代わりにして
教室で友達とアリスを歌っていたのが今ではいい思い出です。


そして高校進学と同時にギターはエレキに変わっていました。
その後もバンド活動をするようになりアコースティックギターとは離れ、
就職してからは音楽活動そのものから遠ざかっていました。

そして毎日の仕事に忙殺されている中ふと「こんな毎日でいいの?自分って何?」
と言う疑問が芽生えてきました。
実は僕音楽の仕事をしていてそのために音楽への触れ方が
純粋ではなくなっているのかもしれないと感じたのです。
仕事とは違った音楽への触れ方を考えないと・・・と考えるようになりました。
そうしないと自分と音楽との関係が良くないものになってしまう・・・。
と言って現在のライフスタイルからバンドが出来るわけではなく
時間の作れる時に楽しめること−弾き語りなら1人で出来る!
ということに行き着き約20年ぶりにアコギを始めました。
長いブランクがあるので指は痛いし、声は出ないのですが、
これが自分の大切な趣味の原点だったんだと言うことに気づかされるほど
楽しくて日々の過ごし方が変わってきました。

TABを通じて友人も増えてこれからどんどん輪が広がってきそうです。
これからは無理せず自分のペースでじっくりと付き合える仲間たちと
パートナーのギターを片手に豊かな時間を共有できたらと思っています。

ギター演奏&歌、
LIVE、ギター探索
Takahiko Ishikawa Fan
あぜ丸

はじめてギターに触れたのは小学校5年生のとき。
 中学になるとかぐや姫や風の曲を必死にコピーしてました。

当時、TAB譜はなくすべて耳コピーでした。そうした中で自然と石川さん
の存在を知り、石川さんのギターが入っているアルバムを買い漁る
マニアックな少年となる。

 やがて時代は80年代、僕もロックやフュージョンを弾くようになり、しばらく
アコギから遠ざかってはいたが、就職しても結婚してもギターは弾き続けて
いました。

85〜90年までは会社員のかたわら漫画を描き雑誌に発表しはじめました。
石川さんのムック本「WORKS」にも縁あって作品を掲載させてもらっています。

 決定的だったのは、やはりクラプトンのアンプラグドで、アコギ熱が再発し、
95年の石川さんの初めてのソロアルバム「WORDS」の発売によって
決定的になったのでした。

 もう一度アコギの奥深さを知り、石川さんの曲を少年のようにコピー
し始めた。仕事はIT関連ということもありストレスが溜まりますが、
自宅でアコースティックを弾くことは、今でも至福の時間です。

 2003年には石川さん本人とギターを弾く機会に恵まれ、少年時代からの
長年の夢が叶い感涙。

 僕はメインというよりも誰かのバックで邪魔しないギターを
弾くのが好きで、いいフレーズが弾けたときがもっとも嬉しい。

NACを通じて友人も増し、これからも無理せず参加できる範囲で
頑張りたいと思っています


石川鷹彦さん FAN 
鷹音に魅了された人々
スラッキー・タイム



GM
人物風土記に紹介されました!



・General  Manager  及び
・Gibson , Martin の頭文字から、GM 

川久保 繁 (1965年生まれ) 長崎県出身 

小学生の時 初めて買ったレコードはアリスの「ジョニーの子守唄」 

中学生になり ギターを弾く仲間に刺激され 兄が買ったギターで
アリスのコピーに挑戦するがすぐに挫折


その後 たまたま聞いたFM放送での長渕剛の弾き語りLIVEで衝撃が走り 
「ひざまくら」を完全にコピーする事を決断する。
1曲 弾けるようになる頃には、ギターを弾きながら歌う楽しさを知りました。

高校生になり 母校、山里中学校同窓生による 
山里中学校同窓会 サイト 
アマチュアバンド: Island company 
オールディーズを主体に キャロルやARBや横浜銀蠅、モッズ、クールスなどの
コピーを中心に R&R BAND この経験が現在に繋がっているように思う

神奈川県に上京して社会人となり ギターをあまり弾かなくなる。
たまに友人の結婚式で「乾杯」の弾き語りをやるぐらい。

【主な出来事】

・1999年 GIBSON J-45 を手にしてから 眠っていたギター魂が再燃する。

・2001年 6月 多摩川ギター倶楽部〜2001年11月 NAC−JAPAN を経て 

・2003年 5月 現在のNACに至る

・2003年 1月 石川鷹彦さんの目の前での生演奏を聴いて、
          自分がギター好きになった原点を確認する。 
          アコギの素晴らしさを再認識する。

・2003年 11月 押尾コータローさんのLIVEを観て更に更に ギターの虜となる!

・2003年 12月 面谷誠二さん率いる IMEHA のLIVEで 
          スラッキー・ギターに興味を持つ!

・2004年 1月 宅録を始める 

・2004年 2月 SLACK-KEY-TIME 新設 

・2004年 12月 憧れの長渕剛さんとLIVEステージ共演の夢が、
           一歩手前で落選する 
           GIBSON J-45(1948) で更に剛を弾きこんで  
           いつかは夢を実現させたい

・2005年 5月 FOREVER LIVE 81 開催

・2005年 8月 NAP de NAC 開催

・2005年 9月 HAMA-SHO-ROOM  始動

・2005年 10月 浜省コピーバンド結成 ギター、パーカッションの3ピースでスタート
                                   (アリススタイル?)
          ベーシスト募集中 加入後は、4ピースバンドとなります。

・2005年 12月 長渕剛オフィシャルスペース ROCK ON クリスマスLIVE出演

・2006年 1月  山里中学同窓会 ISLAND 再結成LIVE

・2006年 2月  LIVEイベント第3弾 岸部眞明さんLIVE NAC主催

・2006年 5月  LIVEイベント第4弾 青春のうた会 いきあたり★マッタリ LIVE

・2006年 6月  人物風土記 に掲載される


・2006年 11月 長渕リスペクト 弾き語りLIVE JAPAN ’06 NAC-童夢 

活動が活発になってきましたので、NAC専用のSNSに掲載 参加窓口

主な活動は、NAC−HISTORY

GM しあわせのとんぼ日記
      
音楽を楽しむ人生を送りたい。 そんな仲間達と時間を共有していきたいです。
そして ○○○○○ オープンをめざして!

スラック・キー・ギター 
ウクレレ
Dream Vintage Guitarギター販売サイト
長渕アコギクラブ



長渕 アコギ 倶楽部
JAPAN  2004 〜 2006 


「桜色の夏休み」大成功
幹事長 はなわさん
ありがとうございました。





はなわ

スーパーバイザー
最初にギターに触ったのは、中学生のときだったでしょうか。
近所のお兄さんから譲ってもらったフォークギターと、
姉に買ってもらったやさしいコードブックで練習していたが、
ほとんど上達もせずにギターを手放してしまった記憶があります。

しかし、後に長渕 剛の唄に心を打たれて、タカミネのギターを買ってしまう。
自分にはもったいないギターだと思いつつも、
がんばって初めて「とんぼ」を弾いたときは、嬉しかったです。

さらに、多摩川から始まったNACでの数々の出来事は、
これから先、より音楽を楽しんでいく自分を予感させてくれます
JAPAN 2005


みよけん

みよけんです。小学3年くらいからそう呼ばれてました。
北海道(富良野の近く)出身です。
ギターのきっかけは「長渕剛」その人です。

小学5年の頃、世間でニューミュージックが流行る中
『Good-Bye 青春』を聴き「こいつはただものではないゾ!」とかなりの衝撃を受け、
剛の色んな曲たちを聴くたびごとにギターへの思いが強くなり、
高校2年のときの音楽の授業で『禁じれら遊び』をきっかけに弾き語りにチャレンジ!

初めてコピーしようとした曲は『SUPER STAR』(コードが少なかったから笑)でしたが、
家族(特に妹)からは《雑音・騒音》扱いされ悔しい時期もありました。
しかし、それでも好きなことはやっぱりやめられず、職員室の前でギター片手に
『とんぼ』を思いっきり歌って、教師たちから怒られたことも(笑)。

20過ぎに『JAPAN』ツアーに参戦、当時住んでた札幌・真駒内アイスアリーナ会場で
LIVE終了後、ギター持ち出して歌い、見ず知らずの連中が自分の周りに円陣組んで
一緒に歌ってくれたことは昨日のことのように覚えてます。

しかしその後は社会人となってしまい、友人たちの結婚式の余興専門に。
けど余興とはいっても、自分なりに真剣に歌うことが身上で、数年前には
昔あれほど非難された妹から「乾杯を・・・」とリクエストされました。
ギターやってて、弾き語りやっててよかったなと思った瞬間です。

しかし!余興はやっぱり誰かに送るモノです。
やっぱり自分が自分の為に歌いたい!!
掻き毟るような思い、ギターにぶつけたい!!!

そんな思いが幾星霜ココロの奥底眠る中、
【NAC】に出会ったのは2005年3月27日でした!
僕の記念日であります!

この出会いを大切に、昔練習した拓郎や友部正人なども含めて、
自分の原点に戻るという意味で、【NAC】というサークルを通じて
人間的にも成長していきたいと考えてます!!!

JAPAN 2006







なりきり剛
(なりきり部)


ターボーさんの知り合いのなりきり剛です。 
なりきり剛の名前の由来は、僕の兄貴分でもあり、良き仲間として、
そして、良き理解者でもある、GM氏が命名してくださいました。

 ターボーさんの熱い熱い推薦を受けこの度、
NAC−JAPAN2006カテゴリーリーダーを任せられた、
なりきり剛と申します。よろしくお願い申し上げます。

簡単に自己紹介をしますと、
長渕剛さんの初LIVE参加が93年。
JAPAN93。1993年5月3日宇都宮市文化会館が最初でした

なりきりになって参戦したのがLIVE95の時ジーパンを破り長渕ルックにして、
今はもうすっかり長渕ルックどころか、完璧になりきって参戦してます。

長渕さんのファンになったきっかけは『家族ゲーム』を観て『この人(長渕さん)は誰なんだろう?』
と思い『そのうちまたドラマに出るだろう』とよぎり『あれ?この人は長渕剛』って言うんだと・・・・
そこからはまってしまい93年以来LIVEへ行き続けています。
一言で長渕さんを表すと・・・・『唯一惚れた男・長渕剛』です。
 

そんな事からいつの日か忘れましたが、あの伝説の男・まさおとチャットで知り合い、
友人になり、そこでGM氏と知り合ってNAC(当時)に所属しました。
 

これからの企画はみんなで遠征し「飲んで、語って、騒いで」をモットーに
長渕剛さんのLIVEを見に行こうではないですか!

簡単ではございますが、挨拶とさせて頂きます。

JAPAN 2007

ヤス
GMの10年来の友人、NAC結成前から、長渕のLIVEに二人で行ってました。
学生時代はギターをやった経験アリ
そして、昨年からギターを再開した。
こんな近くに、NACの理想の人材がいたとは...

本人コメントは近日公開予定!
HAMA-SHO-ROOM


PM


この度、Hama-Sho-Room カテゴリーリーダーを仰せつかりました(T T)です。
僕と浜省の出会い、それは25年前のこと。
当時わけのわからない洋楽や甲斐バンドなんかを
コピーしてた
高校2年の秋、「これいいよ」と友人が貸してくれたのが
浜省のデビューアルバム
「生まれたところを遠く離れて」でした。
以来、僕の人生に多大なる影響を与え続けてくれている

和製スプリングスティーン:浜田省吾。デビュー以来頑なに貫く彼のその姿勢に傾倒し
社会人となって
組んだバンドでドラムを担当しながら、
個人的に練習していたのは常に浜省の楽曲ばかり!
一時は勤めを
辞めてバックバンドのローディになりたいと本気で考えていた時代もありました。
その夢は叶いませんでしたが

気がつけば自分の息子に「省吾」と名付けてしまうほど、
浜省にのめり込んでいる自分がまだそこにいました。
この夏、GMさんと出会いトントン拍子に浜省コピーバンド結成の運びとなったのも
何か運命的なものを感じ
ます

今なお「ON THE ROAD」全力で走り続ける浜省を追いかけ、
熱いビートを刻めるよう十年ぶりに
スティックを握りますが、
気持ちは若いつもりでも体力的にもつか心配です。両巨匠にご迷惑をかけないよう

控えめに叩きますので長い目で見てやって下さい。NACの皆様今後ともよろしくお願いします。

浜田省吾
NAC−TOP
名称  CEO 自己紹介
【 NAC 】
通称:ナック

History

高校時代にフォークの集いで、フォークソングに感動し、早速ギターを購入して弾き始めたのがきっかけです。
学生時代は6人のフォークソング・ユニット 「レモン・スカッシュ」を結成して活動したことは 青春時代の良き思い出です。
それ以降 ギターはケースの中で一休み!

NAC−JAPAN時代にこのサークルに出会い、特に T.Nさんファンではありませんでしたが、
T.Nさんの弾き語りには感動を覚え、仲間達と新旧、ジャンルを問わず アコギを楽しんでいる今日この頃です。 
まさか!? ここにきて LIVE活動をするとは思いもよらぬ事でした。

最近では 石川鷹彦さんや押尾コータローさんなど
いろんなアコギLIVEに行く事で 
初めてギターに出会った時の感動が蘇っています。